ルネ・モーリス・ガットフォセ
・・・エッセンシャルオイル(精油)の再発見

エッセンシャルオイル(精油・アロマオイル)

フランス人化学者のルネ・モーリス・ガットフォセ(Rene-Maurice Gattefosse 1881〜1950)は、近代アロマテラピーの発展に最も大きく寄与した偉大な人物の一人です。ガットフォセは、ジャンバルネ博士マルグリット・モーリーと合わせ、3人の「近代アロマテラピー建設者」と称されることもあります。


ガットフォセが生まれるより前、18世紀以前のヨーロッパでは、エッセンシャルオイル(精油)が主原料であった香水の使用は、まだ王侯貴族の間にのみ限られていました。ルイ14世(在位1643〜1715年)の時代には政策として香水産業が育成され、温和な気候で原料植物の栽培に適した南フランスのグラースはその中心地として栄えました。グラースは現在でも香水の町として大変有名です。


民衆の間に香水の使用が広まったきっかけは、フランス革命(1789〜1799年)でした。王侯貴族お抱えの調香師達が職を失い、民衆に向けて香水を販売するようになったことに加え、産業革命の恩恵で、香水を入れるためのガラス瓶や遮光瓶が安価で手に入るようになったことが背景にありました。


ガットフォセの父ルイと兄アベールはリヨンで香料店を経営者していました。積極的な経営を行っていたガットフォセ家は、国内でラベンダーミントなどの香料原料の貧しい栽培農家を支援しつつ、クラリーセージ油(オニサルビア油)のイタリアからの輸入、南国の未知のエッセンシャルオイル(精油)の研究などにも取り組んでいました。


当時もまだ、香水の主原料はエッセンシャルオイル(精油)とアルコールでしたが、このころから徐々に化学合成香料の利用が模索され始めます。安定性と溶解性の二点に優れた化学香料は、香水原料としてはエッセンシャルオイル(精油)に勝る利点があったためです。ガットフォセ家はさまざまな香水の処方開発に取り組み、香水を販売するだけでなく、『ガットフォセ家の香水処方書』という書籍を出版しています。


父ルイが世を去り、兄アベールが第一次世界対戦で戦死した後、ルネ・モーリス・ガットフォセは店の経営を引き継ぎます。ガットフォセは、後に植物学者、化学者となる弟のジャンと共に、北アフリカ、モロッコにエッセンシャルオイル(精油)蒸留所を興すなど、更に事業を広げる傍ら、精油や薬草の特性、特にラベンダー油の持つ可能性に関心を強めていきます。香水産業において、化学香料の使用が本格化し始めるこの時期に、エッセンシャルオイル(精油)の特性にガットフォセが惹かれていったことは大変興味深いことです。


そして、1910年6月にアロマテラピーの発展に大きな意味を持つ有名な事故が起こります。作業室での実験中に爆発事故が発生し、ガットフォセは頭と両手に大きな火傷を負ってしまいました。その時に、手元にあったラベンダー精油をとっさに使用したことから、ガットフォセはラベンダー油の優れた特性を身を持って体験することになります。このことをきっかけにガットフォセは更にエッセンシャルオイル(精油)の研究に没頭していきました。その後フランスが戦った第一次インドシナ戦争(1950〜1953)では、ティートゥリーラベンダー等のエッセンシャルオイル(精油)が軍医であったジャン・バルネ博士によって負傷兵に対して始めて用いられることになります。ガットフォセ自身はそれより30年以上前の1918年の段階でエッセンシャルオイル(精油)を原料に使った石鹸を開発、製造しており、後にこの石鹸は兵士の衣服や包帯を洗浄するのに使用されました。


その後も数多くの研究、製品開発に取り組む過程で、ガットフォセは医師や病院関係者との連携も積極的に行います。そして、1936年に『la physiologie estethique et les produits de beaute』(容貌の美学と化粧品)、翌1937年には最も有名な著書『Aromatherapie』(芳香療法)と『Essentielle Antiseptique』(殺菌精油)を出版しました。いずれの著書も大変高い評価を受け、多数の言語に翻訳されています。


アロマテラピーとは「アロマ」(芳香)と「テラピー」(療法)の2つの言葉を繋いだ造語ですが、この言葉が初めて使われたのがガットフォセの著書『Aromatherapie』です。つまり、「アロマテラピー」という言葉の生みの親がルネ・モーリス・ガットフォセというわけです。


香水に代表されるように、それまで「香りを楽しむ」「香りを身にまとう」といった香りの嗜好性や、社会的効用の側面から主に利用されていたエッセンシャルオイル(精油)に対し、「療法」(テラピー)という側面に独自の光をあて、その後のエッセンシャルオイル(精油)利用の進むべき方向性を革新的に決定付けたという点において、ガットフォセの業績は計り知れないほど大なものとなりました。


エッセンシャルオイル(精油)の研究とアロマテラピーの発展に生涯を捧げたガットフォセは、1950年にカサブランカで死去します。ガットフォセ香料店はその後も発展をつづけ、医療品や化粧品原料の研究開発を行う会社として、現在でもフランスに存在しています。



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