シャンプー・洗髪の歴史・・・豆知識

アミノ酸シャンプー「アロマのやさしさ」

アミノ酸シャンプー」が使用されるようになったのは、シャンプーや洗髪の長い歴史を考えるとかなり最近の話と言えます。日本でシャンプーや洗髪がどのような歴史をたどって今に至っているか、簡単に振り返ってみましょう。


日本において髪を洗う際に洗浄成分(当初は「シャンプー」ではなく「石鹸」でした)が一般に使われ始めたのは昭和に入ってからのことです。石鹸自体は安土桃山時代にヨーロッパ人によって日本にもたらされ、江戸時代後期には蘭学者によって製造されていましたが、大変高価なもので、特別な医薬品として扱われていました。石鹸はまだ庶民が日常的に使用できるものではありませんでしたが、それ以前に江戸時代には洗髪の頻度自体がとても低く、髪を洗って美しく保つという意識自体が乏しかったようです。ただ、石鹸は使われていませんでしたが、「うどん粉」や「粘土」、ヒルガオなどの「野草」(今風に言うと自然のハーブ)を砕いたもの、「灰汁」などをシャンプーやコンディショナー代わりにして髪の手入れをすることはあったようです。


日本で石鹸の商業生産が始まったのは1873年(明治6)年のことです。堤磯右衛門という人が横浜で日本初の石鹸製造所を作りました。不況の影響もあって、この製造所は創業から19年後の1893年(明治26年)に閉鎖されてしまいますが、その後この石けん工場で働いていた技術者がが花王や資生堂といった現在でも日本を代表する化粧品会社に移って石鹸の製造に携わりました。堤磯右衛門石鹸製造所は日本の化粧品・バストイレタリー業界の出発点と言えるかもしれません。


こうして日本でも普及し始めた石鹸でしたが、明治時代にはやはりまだ高価なものでした。洗髪のための使用が一般化したのは、さらに時代を下り、 昭和の初期になってからのようです。1926年(昭和元年)に「シャンプー」という名前のついた商品(洗浄成分は石鹸)が始めて販売されましたが、当初はほとんど売れなかったようです。1932年には当時既に大手メーカーとなっていた花王から「花王シャンプー」という商品が発売されましたが、日本は戦争に突入していこうとしていた時代でした。戦争の激化、終戦後の貧窮により、シャンプーの使用が一般に定着することはなかったようです。その後戦後の復興が始まり、1950年代になってようやくシャンプーによる洗髪が一般化し始めます。このころから、シャンプーの洗浄成分の主流が石鹸から界面活性剤に移り変わっていきました。「キューティクルを開いて髪を傷めてしまう」「頭皮の保湿因子を過度に流出させてしまう」っといった、シャンプーに使用した場合の石鹸成分のデメリットはこの頃から認識されていたようです。とは言え、このころはまだ花王の製造する1つの商品が、シャンプー市場の8割以上のシェアを占めるという著しい寡占状態にあり、現在のように「アミノ酸シャンプー」を含めて多様な選択肢の中から自分にあったものを選ぶという状況からは程遠いものでした。


1980年代頃になると徐々にシャンプーの多様化が本格的に始まります。色々な付加成分を配合したもの、多様な洗浄成分を組み合わせて利用したもの等が次々に開発され始めます。90年代以降は社会の多様化に合わせて更にシャンプーの多様化も進みます。そんな中、成分に対する意識の高い消費者を中心に注目され始めたのが「アミノ酸系洗浄成分」を使った「アミノ酸シャンプー」です。頭皮の保湿因子(NMFやセラミド)の流出を防ぐだけでなく、髪のダメージ部分に吸着する性質を持つため、やはりシャンプーの洗浄成分としては、現在のところアミノ酸洗浄成分を上回るものは無いと言い切って良いのではないでしょうか。シャンプーの現時点での最終形がアミノ酸シャンプーと言っても良いと思います。


こうした認識の広まりから、徐々にアミノ酸シャンプーの商品数も増えてきましたが「アミノ酸シャンプー」呼称の問題でも記載したように、「アミノ酸シャンプー」という名称に法的な決まりはないのが現状です。ほんの少しでもアミノ酸系成分が入っていれば、「アミノ酸シャンプー」として販売しても問題ないことになっており、情報の混乱や優良誤認といって良い状況も見受けられます。「アミノ酸シャンプー」に関しては、今後法的な規則や業界の呼称に関する自主基準の制定などが検討されることが望ましいと思われます。



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